拝啓・現場小町 - 株式会社宗家花火鍵屋 天野安喜子さん
各方面の現場でイキイキと輝く活躍する女性にその醍醐味や将来の目標などを伺いました。
文/編集部 写真=三川ゆき江、タカオカ邦彦、江戸川区
「人に喜んでもらうために働く」。その気づきから仕事が変わった
1970年、東京都江戸川区生まれ。86年福岡国際女子柔道選手権大会で銅メダル。93年花火製造のため2年間修行に出て、2000年に宗家花火鍵屋15代目を襲名。14年に講道館評議員に就任。
職人と一丸となって現場をつくる
「か~ぎや~!」「た~まや~!」。花火見物に欠かせないこの掛け声は、花火師の屋号。その「鍵屋」を女性で初めて襲名したのが、天野安喜子さんだ。三姉妹の次女として生まれ、幼い時からやんちゃな性格。14代目の父は、幼い頃からの憧れだった。「『父のようになりたい』と思い、自分が跡を継いだのは自然な流れでした」(天野さん)
15代目の仕事は、花火大会の全体総括。「製造している花火玉から花火大会の演出を考える花火師が多いなか、鍵屋の特徴は、まず描きたい情景を考えてから花火玉を製造することにあります」(天野さん)。色、形、光、音をすべて指定して花火玉を発注する。演出の構想とプロデュース、行政との打ち合わせ、さまざまな申請など、15代目として大会までにやることはたくさんある。
大会当日は現場で指揮を執る。100%の準備をして臨むが、現場でも天候や風などの状況に応じて変更を重ねていくという。打ち上げの「間」を決めるのも15代目の役割だ。打ち上げの遠隔操作ボタンを押すタイミングは、天野さんが手を上げて指示を出す。その回数は1大会で約250回に及ぶこともある。
今でこそ堂々と職人たちを率い、花火大会を取り仕切る天野さんだが、その道のりは平たんではなかった。いざ、花火の世界に入ってみると、子どもの頃からかわいがってくれていた職人たちは、天野さんの指示を素直に聞いてはくれなかったという。そこで天野さんは、「自分には何の実績もない。ならば人の3倍働こう」と決めた。関係性が大きく変わったのは、ある花火大会がきっかけだった。現場で起きたトラブルを必死で解消しようとする天野さんの誠実さが職人たちに伝わり、現場の気持ちは強く1つになった。「以降、地に足が着いた気がする」と天野さんは振り返る。「今思うと、それまでの私は自分の立ち位置を認めてもらいたいがゆえの仕事をしていただけ。でも、この頃からようやく職人や主催者、観客の方々など、誰かのことを考えられるようになったと感じます」
気張っていた襲名時から、年を経るごとに肩の力は抜けてきたという。その理由の1つが、娘さんだ。「育児を通して、それまで『黒』と『白』しかなかった価値観に『グレー』ができました。『グレー』もありだと思えることで、自然と笑顔も増えましたね」。わずかなオフタイムを独占するのも、「存在そのものが原動力」という娘さんだ。
実は天野さんは、柔道のインターナショナル審判員。海外遠征に行くことも多く、常に飛び回っている。「求めに応えることで、人が喜んでくれるのがうれしくて。毎日が充実しています」
2018年江戸川区花火大会より。富士山に花吹雪が舞う情景を花火で描く。
柔道のインターナショナル審判員
2008年に日本人女性初のオリンピック審判員(北京大会)を務めた天野さんは、日本柔道界の女性の躍進も担う存在。8月25日から9月1日の世界柔道選手権大会でも試合を裁く。「20年の東京オリンピックでも選ばれたいですね」(天野さん)
宗家花火鍵屋
鈴木さかえさん
6歳上の姉は、昔は怖い存在でした(笑)。仕事の面では完璧主義者。仕事相手にも厳しいですが、その一方で、職人をよく見て、彼らが口に出さないことも察する気遣いができる人でもあります。