拝啓・現場小町 - Vol.17 辻本店 辻 麻衣子さん
文/編集部 写真/三川ゆき江
少しずつ壁を崩して歩んだ20年、 「今がいちばん、酒造りが楽しい」
1977年、岡山県生まれ。2000年、辻本店に入社し酒造りを始める。 07年、前杜氏の急逝のため杜氏(とうじ)就任。受賞歴は、07年 から広島国税局清酒鑑評会・純米酒の部で6年連続優等賞など。
「無理しない仕組み」づくりで働きやすく
岡山県真庭市勝山。町並み保存地区に指定された出雲街道の宿場町で、文化元年(1804年)に創業した辻󠄀本店は、美作勝山藩への献上酒「御前酒」を造り続ける由緒ある酒蔵だ。蔵元の辻󠄀家に生まれ、現在、女性杜氏として活躍するのが辻󠄀麻衣子さん。実家を離れて進学し、初めて日本酒や酒造りに魅力を覚えた。「本を読むだけではよく分からないので、『うちは酒蔵だし、実際に見せてもらうかな』」と軽い気持ちで体験した1週間が人生を大きく変えることになった。体を動かして元気に働き、よく食べ昼寝し、また働く蔵人(くらびと)たち。米が酒へと変化する際のもろみの泡、全てが魅力的に見えたという。
実は辻󠄀さん、この時まで“女人禁制”の蔵に足を踏み入れたことはなかった。酒造りがしたいという辻󠄀さんの決断を、父親と当時の杜氏・原田巧氏が応援してくれた。「原田杜氏は柔軟で進歩的な人で『麻衣ちゃんならできるけ、帰ってくればいい』と言ってくれました」。しかし、やはり30kgの米袋を日に何十袋も運ぶ蔵の仕事は、小柄な辻󠄀さんには重労働。「自分の限界を感じましたが、それならば道具の整理や麹の作業など、得意なことを伸ばすしかない」。女性が蔵に入るのを快く思わない人もいた。「『お嬢さんが遊びに来て』とか(苦笑)。認められたい一心で一生懸命でしたね。そのうち蔵人たちもかわいがってくれるようになりました」。
2007年、原田杜氏が倒れたのを機に、想定よりも早く辻󠄀さんは杜氏という大役を務めることになった。そして翌年出産。「杜氏1年目より、子どもができて1年目の方が大変でしたね」。職場に子どもを連れていき、夜勤は若い世代に代替わりしていた蔵人たちに任せた。
辻󠄀さんの話からは、頑張り過ぎず、合理的に解決していく姿が見えるが、「私、完璧主義のような面があり、つい頑張り過ぎちゃうんです。杜氏1年目には頑張り過ぎて1日も休まず働いたら調子を崩してしまい……。であれば、最初から無理しなくていい仕組みづくりをすればいい。結果的に私だけでなく蔵人たちにも働きやすい環境になるんじゃないかと思って」
酒造りでは今、大きく二つのことに挑戦している。一つが「菩提もと仕込み」による酒造り。空気中に漂う乳酸菌を利用する、いわば無添加の酒造りだ。「手間は掛かりますが、深みのある味わいが出ます」。もう一つは、日本最古の酒米の品種で、原生種である岡山県産の雄町米の使用割合を増やしていくこと。昨年は7割、今年は9割と増やし、「来季は100%にしたい」と意気込む。
酒造りに携わって20年。「いろいろな知識と経験を得た今がいちばん楽しい」と辻󠄀さんは話す。
「酒造りって法律で制約のある部分が多いんですが、これからもさまざまな挑戦を続け、少しずつ壁を崩していきたいです」
食べることが好きで料理が趣味プライベートでも「仕込む」
「食べること以外、あまり興味がなくて」と笑う辻󠄀さんの趣味は、料理。「最近では葉わさびをしょうゆに漬け込みました。クラフトコーラづくりにもハマっています。酒造りを離れても“仕込む”ことが好き(笑)」
七代目蔵元
代表取締役
辻󠄀 総一郎さん
杜氏(姉・麻衣子さん)は、二人三脚で進んできた“戦友”のような存在です。酒造りの責任者である杜氏を務め、一人の職人としても非常に信頼していますし、道なき道を切り開いていることを尊敬しています。